『後宮の烏』(白川紺子・著)という、架空の中華風国家の後宮を舞台としたファンタジー小説をご存じでしょうか。
シリーズ累計発行部数は120万部を突破。2022年にはアニメ化もされた、知る人ぞ知る中華後宮ファンタジー小説です。

私はミリしらの状態でアニメを視聴して、その世界観にすっかり魅せられてしまいましてねぇ。気づいたら原作(全7巻)を数日で読破していました。
- さらっとした癖のない文体
- 「中華後宮もの」という前提をうまく活用して描かれる独特の世界観
- 恋愛にも友情にも収まらない男女の尊い関係
「あー、あれね、中華風の後宮を舞台にした恋愛ものね」と勝手に思っててすみませんでした!すごいっす!これは話題になるわ……!
ということで、読了記念に感想をまとめます。がっつりネタバレしていますので、未読の方はご注意ください。
『後宮の烏』のあらすじ
後宮の奥深く、烏妃(うひ)と呼ばれる妃が住んでいた。後宮に住む女でありながら、決して皇帝のお渡りを受けない特別な妃ーそれが烏妃だった。
彼女は不思議な術を使い、失せ物探しから呪まで、さまざまな願いを引き受けてくれるという。
これがあらすじです。アニメの冒頭で繰り返される内容ですね。
主人公は、この鳥妃こと寿雪という少女です。即位間もない若き皇帝・高峻が、彼女の元へとある依頼をしに訪ねるところから物語がはじまります。
『後宮の烏』は、「烏妃」の元へ舞い込むさまざまな依頼を寿雪が解決する短編連作の形を取りながら、全体のストーリーで「烏妃」という存在の謎を描く、えーっと、こういうのなんて言うんだろう、とにかく謎解き要素が強い小説です。
で、ここまで聞くと「はーん、つまり皇帝・高峻と烏妃・寿雪の後宮ロマンスものね」って思うじゃないですか。
違うんだわ、これが。
恋愛小説じゃないんだわ、この設定で。
ここから、感想を交えて『後宮の烏』の凄さを語ります。
『後宮の烏』の感想|ここがすごかった
読んでいて、私が非常に感銘を受けたのが次の3点です。
ジェンダーロールへの超ドライな視点
ご存じのとおり、後宮は「皇帝」という絶対権力者の男性に、妃や宮女といった複数の女性、および宦官という性機能を失った男性が仕えるシステムです。
皇帝は妃の閨を渡り歩き、妃(または宮女)は皇帝の子どもを産み、宦官は円滑に後宮システムを回すという役割期待がそこにはあります。
個人の事情や感情は考慮されず、ジェンダーロールを演じることのみを厳格に求められる世界。そのなかで、「皇帝と相手をしない」烏妃は非常に特異な立場にあります。
いわばジェンダー(社会的・文化的性差)から外れた存在ですね。
烏妃はほかの妃や宦官と異なり、皇帝の寵愛や地位を争うことなく、超然として後宮に生きられる立場です。
ゆえに寿雪は、後宮に生きるさまざまな人間の悲哀に寄り添い、権力に抹消された無念を掬い上げることができます。読者は寿雪の視点を通して、後宮で繰り広げられる陰惨な事件(マジで酷い)と、そこから浮かび上がる権力とジェンダーの生き苦しさを見せつけられます。

男女がジェンダーロールを演じたまま恋愛するって展開に異を唱えている……というほど直接的ではないけれど、そういった展開に非常にドライな視点を持っている作品だなと感じました。
この辺の意図を、夜伽をしないもう一人の妃・花娘の存在がより補強しているように思います。
花娘は高峻と幼なじみであり、亡き恋人への純愛を貫くために高峻とビジネス結婚の道を選んだキャラです。実質的な妻ではないという点では寿雪と同じですが、権力者の孫で才媛の彼女は、表向きは第一妃として高峻を支えます。
寿雪がジェンダーから外れた存在ならば、花娘はジェンダーを利用している存在と言えるでしょう。
「逃げ恋」以降、近年の日本では「利害関係が一致した男女が生存戦略として夫婦になり、ゆくゆくは恋愛関係になる」といったストーリーが肯定的に描かれてきました。もちろん、互いを尊敬しあう対等な夫婦関係は素敵ですし、私もそういう恋愛物は大好きです。
しかし、忘れてはいけないのは、世の中には相手にメリットを与えられない人間、むしろデメリットを与えてしまう人間もいるってことです。
花娘と高峻には、大前提として利害の一致がありました。
ジェンダーロールごりごりの殺伐とした世界を、姉弟のような信頼関係でもって生き抜いていく。お互いに恋心がないからこそ、相手を尊重し、理性と親愛で配慮しあう関係を保てる。そのあり様は、寿雪と高峻の関係とは別の意味で美しいと言えます。
この二人の関係を踏まえたうえで、寿雪と高峻の関係を描くにあたって『後宮の烏』は利害の一致を利用していません。ビジネス結婚とはまったく別の、新しい尊敬と親愛の形が描かれます。
読んでいて、作品から「新しい男女の関係、誰も取りこぼさない関係の有り様を描くんだ」という強い信念を感じました。
恋愛感情の凶暴性をガッツリ描写
繰り返しますが『後宮の烏』は恋愛小説ではありません。むしろ、恋愛感情の持つ凶暴な一面をガッツリ描いています。
好きな相手のために自他を犠牲にするキャラ。恋心が暴走して人としての道を外れるキャラ。恋愛の美しさ以上に、それによって箍が外れてしまう人間の哀しさが際立ちます。

舞台が後宮という権力争いの場であり、登場人物の多くが自由恋愛を楽しめる立場にないことを否応なく突きつけてくる容赦のなさよ……。
『後宮の烏』の後半では、烏妃という役目からの寿雪の解放が主軸になります。血筋に厄介な事情を抱える寿雪は、烏妃という特異性を失えば、高峻の政の足かせにしかなりません。
もちろん、最高権力者たる高峻の寵愛があれば、寿雪は妃として後宮にいられます。
しかし、前半で高峻自身が、皇帝の寵愛に振り回されるという後宮の在り方にトラウマを抱えるキャラであると描かれるので、寵愛ルートを選ばないことに納得感があります。
恋愛や結婚を全否定はしていないものの、それを至上とする考え方には異を唱えている点は、非常に共感できるポイントです。
なにより寵愛ルートを良しとしないことで、高峻というキャラの生真面目さ、抱え込んだ苦しみを描いてみせた作者の手腕は見事だと思います。
男女の知己関係へ帰結する潔さ
寿雪にとって高峻は、彼女の人生ではじめて対等に関わった人間です。
高峻からすると、寿雪は自分に皇帝や男性の役割を求めない、唯一無二の人間です。
二人の共通点は、幼いころに母を見殺しにしてしまったトラウマと、特別な立場ゆえの孤独です。というか、それ以外はほぼ真逆の設定になっていると思います。
物語の前半で信頼関係を構築した二人は、後半で後宮からの寿雪の解放を目的に協力し合うことになります。
皇帝としては烏妃をわざわざ解放してやるメリットはないし、高峻個人としても友人として一緒にいたいなら寿雪は後宮にいたほうが都合が良い。なのに、高峻は彼女を出そうとするんですねー。
彼が皇帝である以上、おそらく寿雪のように対等な関係性を築ける相手は二度と現れないであろうとわかっているのにです。
「そなたは私の半身なのだと、そう思う」
「そなたを遠くにやらねばならないのは、半身をもがれるようにつらい」(引用:『後宮の烏』5巻p.278)
小説5巻の高峻のこの台詞と、そのあとの後宮の結界破りシーンにおける寿雪の独白。
ーーどこにいようと、私の半身はここにある。
だから、どこにでも行ける。(引用:『後宮の烏』5巻p.285)
私、ここですごく感動してしまって……、なんて尊いんだろうと思って……。

まぁそのあとのすぐに出てきたヤンデレの呪いにドン引きして涙引っ込んだんですけど。
アニメの最終話、高峻の表に出せない感情を寿雪が掬い上げて行動したことにぐっとなって小説を読み始めたこともあり、惹かれたものを掴んだ気持ちになりました。
男女の役割が決まった窮屈な世界で、男女が格差を超えて、対等な知己関係を築くという美しさ。恋愛に逃げたら楽なところで、そっちにいかない潔さ。
別々の道を行くと決めたシーンも、離別のシーンも、いずれもあっさりとした描写でしたが、それが逆に最後の一文の威力を増幅したように感じました。

素晴らしい作品でした。アニメで少しでも興味を持たれた方は、アニメ以降からが本番なのでぜひ読んでみてください!