この世には、”読後に世界が一新して見える本”が存在します。
『お砂糖とスパイスと爆発的な何か』は、まさに出会いに感謝する一冊でした。あまりに感動したので、衝動のままに紹介します。

作者の北村さんは、『マツコの知らない Wikipediaの世界』にも出演経験のあるイギリス文学者です。
北村紗衣という名前は知らなくても、saebouというTwitterアカウントは知っている方も多いのでは?
何かと炎上しがちなエンタメ・オタク界隈にて、自称”自由の戦士”を140文字で華麗にベギラマ(攻撃魔法)する有名アカウントです。女性蔑視的な投稿を短文であっさり切り捨てる様は、知識と思慮深さを兼ね備えた本物の論者オーラがあります。

自由の戦士ちゃんは「可愛いアイコン」や「穏やかな文体」で相手の強さが見抜けないようだが、モブがヨーダに挑むようなものだよね、あれ。
そんなsaebouさんこと北村紗衣さんが、まったくフェミニズムを知らないであろう人に向けて書いたのが本作です。
まず正直に言うと、私はフェミニズムを小説や漫画などに持ち込む人が苦手でした。常に作品に文句を言っているイメージが強く、「この作品を好きな人は差別に無自覚だ」とファンまでひっくるめて批判する人も少なくないからです。
いつも何かのファンと戦っているので、その思想や活動の意義は理解しつつも「フェミニズムって、学ぶと生き辛くなりそう」とすら思っていました。
そう、この本を読むまでは!
『お砂糖とスパイスと爆発的な何か』は文学批評の本
『お砂糖とスパイスと爆発的な何か』では、古典から最近の文学作品まで、さまざまな作品をフェミニスト批評しています。
フェミニスト批評とは、
- 作中の女性の描かれ方
- 女性作家
- 隠れた性差別
などに光を当てる批評です。わざわざ”フェミニスト”と付けるのは、ただの批評と差別化するためとのこと。

作品批評の多くは、男性の男性による男性のための批評、男性中心の物の見方を是としているから、らしいです。

たしかに、言われてみればそうだな。
とはいえ、副題にあるように『入門編』なので、特に難しい専門用語は使われていません。
それどころか、批評文として単純にものすごくおもしろい!
特に私が感銘を受けた部分が次の3つです。
- 誰もが社会的抑圧を内に抱えて生きている
- 冴えない男性の救いは、異性愛の中にはない
- アナ雪のエンディングに対するもやっと感の理由
誰もが社会的抑圧を内に抱えて生きている
ウルフは、女性が自分で考えて行動しようとするときにのしかかってくる社会的圧力を擬人化して『家庭の天使』と呼んだのです。
北村紗衣『お砂糖とスパイスと爆発的な何か』、21p
内なるマギーは、私の心の中にある男社会でバカにされず立派な人間として認められたいという野心を象徴しています
本作,25p
上記は、ヴァージニア・ウルフの『女性にとっての職業』に関する批評文です。
ウルフのことはまったく知らなかったのに、この批評文を読んで頭殴られたような衝撃がありました。
『家庭の天使』も『内なるマギー』も、両方私の中にいたからです。
家庭の天使は、良妻賢母思想の象徴。マギーはバリキャリ思想の象徴とも言えるでしょう。
私の家庭の天使は、ママ友の姿をしていました。ワーママ時代、当時1歳の長女を保育園に預けて育休から復帰したときに「もう保育園かぁ。かわいそう」と言ってきたママ友の姿です。

別にママ友に悪気はなかったと思うんです。ちょっとね、「口に出す前にもうちょっと考えたら?」って発言が多い人だったけどね。

めっちゃ根に持ってるやん。
それ以来、お迎えに遅刻したとき、保育園から発熱の連絡があったとき、「ひどい母親だ」という意味を込めてママ友の「かわいそう」が脳内再生されるようになりました。まさしく家庭の天使だったな、私自身が育児をちゃんとできない自分を責めていたんだな、と本作を読んで霧が晴れた気持ちでした。
一方で、内なるマギーは独身時代の私の姿をしています。囁く内容は決まって「女性も経済的に自立しなきゃね」「子育ては言い訳にならない」などの、なーんか世間がよく言っていることです。精神的に安定しているときは「無茶言うなボケ!」と一掃できるのに、ちょっとメンタルが弱っている場面でムクムクと出てくるがたちが悪い。
本書によると、私を責める幻たちは、私が独力で生み出したものではないらしいです。曰く、私の育った環境や社会が、私の中に作用した結果生み出されたものだそう。スタンドみたい。
だから、老若男女の誰もが何らかの抑圧の擬人化を抱えて生きている、といえるわけです。
と考えると、人間の思想やポリシーなんてものは、外圧の中で生き抜く処世術では?
ポリシーを持つことは悪くないが、生きづらくなるほど貫く価値はないと思えてきます。「なにか楽しいことを考えよう」という締めくくりの文に頷くしかありません。
冴えない男性の救いは、異性愛の中にはない
人生の一発逆転をかけて婚活する人が、たびたびネタにされますよね。理想の相手と結婚できたとして、幸せになるかは別問題だと思うけれど、恋愛に夢を見る人は多いものです。
しかし『二十日鼠と人間』の批評のなかに、次の文が出てきます。
この作品が提示するキモくて金のないおっさんたちの救済策は、自分を好いてくれる女ではなく、気の合う同性同士でのどかに暮らせる安全な場所の確保です。
(本作,64p)

凄いこと言ってるね。

1937年の作品だって。世界恐慌のときのアメリカが舞台らしいよ。
なお”キモいおっさん”て言葉はよくないけど、言い換えが難しい形で世間に流布しているため、作中では あ え て 使用されています。
この引用文、女性なら案外共感するのではないでしょうか?「本当に困ったときに助けてくれるのは白馬に乗った王子様じゃなくて、隣にいる女性」ってのは、現代女性の多くがすでに気付いていることだと思います。
- 結婚より親友とシェアハウスするほうが良い
- 老後は夫じゃない人と暮らしたい
ちょいちょい聞きますよね。
一方、『二十日鼠と人間』の主人公は、農業労働者の男性たち。自分たちの農地も家もなく、いつ雇用主にクビを切られて露頭に迷うかわからない、社会的弱者です。
「恋愛じゃなく、友愛や親愛を同性と構築するほうが幸せじゃない?」って意見は、社会的に弱い立場の人間なら、男女関係なく到達する結論なのかも知れません。
この章を読むと、日本では男性向けの作品として「冴えない男が異世界に最強キャラとして転生し、可愛い女の子にモテまくる」が流行るのは、凄まじい皮肉に見えます。

人生リセットしないと幸せになれないのか?世界を揺るがす力がないと、社会に認められないのか?可愛い女の子に好かれないとダメなのか?

幸せのハードルが高すぎる。
今後、転生せずに幸せになる成人男性が主人公作品が、男性ファンの間で流行るといいな、と思います(女性ファンに流行ったのはたくさんあるから)。
なお、『二十日鼠と人間』はバッドエンドです。
アナ雪のエンディングに対するもやっと感の理由
アナ雪といえば、「ありのーーままのーーー」と歌いながら築城するシーンが有名。で、アナ雪のエンディングってみんな納得してるの?って話ですよ。
正直、私はアナ雪を見終わったとき、形容し難いもやっと感を覚えました。

きれいな氷の城を作れる能力や、雪の女王になったときの吹っ切れたかっこよさが、最後には鳴りを潜めてしまったように見えて…。

エルサからすると、愛する家族との関係が修復したからOK!ともいえるけどね。アナがめっちゃよい妹だし。
アナ雪は本作でも批評されています。
つまりこの映画では、自由を謳歌し、階級や社会が求める役割から離れて、人と違うことによって生じるものすごいクリエイティヴィティを自分のための芸術作品に費やすよりは、市民のためにちょっとベタな感じのスケートリンクとか公共彫刻を作ることが評価されるのです。
(本作,p137)
もやもやが言語化されるって超気持ちいい…!
エルサの孤独を癒やしてくれるのは家族だし、王族だから国へ戻って務めを果たす選択は、理解できるんですよ。でも、社会からはみ出した人は、なにか特別な能力をコミュニティに還元しないと受け入れてもらえない、なんて窮屈な気がします。
その辺が、ばしっと批評されていて、読んでいてスッキリしました。
しかも本書の素晴らしい点は、キリスト教国での天才のあるべき姿と絡めて「アメリカの倫理観では正解なのかもね。子供向けだし」と一歩引いた形でまとめていることです。
作品が作られた背景を考えて一方的にディスらない姿勢には、創作への経緯を感じます(作品の好き嫌いはあるとして)。
などと書いていたら、アナ雪2のエンディングを娘が教えてくれました。アナ雪2のエンディングのほうが納得感ありそうです。
まとめ
『お砂糖とスパイスと爆発的な何か』はこんな本です。
- 読むと世界の見方が変わって、ちょっと生きるのが楽になる
- 攻撃的じゃないフェミニズム(本物のやつ)に触れられる
- 作品を鑑賞しているときに感じる「もやっ」の理由が見えてくる
文体が穏やかなので、批評なのに読んでいてキツく感じる部分がなく、かなり読みやすいです。
また、フェミニズムというと「女性向けでしょ?」と思われがちですが、今の社会で理不尽さや生きにくさを感じている方すべてに書かれた本に見えます。
なーんか生き難い、という方におすすめです!

入門編とあるので、続編が来ることを期待して待っています。